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井原三津子の旅コラム
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メコン川を舟で下る(ラオス)
メコン川を舟で下る(ラオス)
ラオスを旅するなら、メコン川を舟で下ろうと考えていた。なぜなら、メコン川はラオスに暮らす人々にとっての生活の源であり、母なる川だからだ。メコンなくしてラオスは語れないと思ったからである。
南北国境線に沿い
5つの国に囲まれて海のないラオスでは、国土の北から南まで1,900kmあまりを、国境線に沿ってメコンが流れているのである。
今回、私はタイ北部にあるミャンマー・ラオスとの3国国境「ゴールデントライアングル」の町チェンセンから、メコンを挟む対岸ラオスの町フェイサイに渡り、そこを起点に、1泊2日でメコンを下り、ラオスの古都ルアンパバンを目指したのであった。
8人乗りぐらいの細長いローカルボートを貸し切って、1日7〜8時間。ゆっくりとメコンの流れに身を任せ、のどかな風景を楽しもうという計画だった。
大雨の出迎え受け
モータは付いているものの、1日でルアンパバンまで行ってしまう暴走族のようなスピードボートとは違い、ゆっくり走る。トイレも付いていない質素な屋台船風なのも、情緒がある。喜んで乗り込み、ボートはいざ出発。運転する人も2人。長旅だから交代制のようだ。
しばらく走ると、雲行きが怪しくなってきた。いやな予感は的中し、大雨が降りだしたのである。まだ4月の末だというのに、今年は雨期が早くやってきたのか。
ボートにしつらえた木のいすに小さくなって座っているものの、土砂降りは情け容赦なく吹き込む。破れたカーテンを安全ピンで留めて雨よけにするが、雨とモヤで景色を楽しむどころではなくなった。
2時間あまりの試練の時は終わり、スコールが上がると風景は一転した。川岸にやぎや水牛の群を見つけたり、舟で暮らす人々の暮らしを眺めたり。夕暮れ時、舟から川に飛び込んで遊び、おふろ代わりにしている子供たち。夕食を作るお母さんを手伝って水や薪を運ぶ子供の姿も見える。
彼らの昔ながらの暮らしは、数世紀もの間、時が止まっているかのようにのんびりとしている。メコンの船旅はラオスの人々の生活の臭いを肌で感じる旅にほかならない。
しかし、メコンは穏やかな流れだけでなく、さまざまな表情を見せてくれた。泥水の中から険しい岩山が突き出していたり、たくさんの早瀬や濁流に出会い、ボートはジグザグに走らなくてはいけない。なかなかどうして舟の運転は経験がものをいうのである。
ゆらり、ゆっくりのメコンのイメージは履された。岩にぶつからないかと不安になり救命胴衣を付ける。前からきた大きめの舟とすれ違うと、その余波がザブーンときて水を浴びる羽目になる。でも、そんなスリルが楽しくもあった。
途中、何カ所かでストップしてもらい、上陸して集落を見て回った。
独自習慣持つ民族も
モン族(タイではメオ族と呼ぶ)の集落には、貧しく暗い家でたくさんの家族がひしめき合うように暮らしていた。山岳小数民族の間で信仰されているピー(精霊)信仰はここでも根強く残っている。のろいのような歌を口ずさむ男が家の戸口で紙を燃やしていた。豚を殺した時におはらいをするためだそうだ。
舟の旅も終わりにさしかかったころ、川岸の風景は平地となり、川幅は広くなっていった。目指す古都ルアンパバンも近いようだ。メコンの川面も辺りの緑も、青空のもとでまぶしいほどの輝きを見せていた。