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ガーナと聞いて誰もが思い出すのはチョコレート?そう、ガーナはカカオの名産国です。でもそれ以外で有名なことはある?はい、野口英世が黄熱病の研究をした国です。そのあたりまで知っていればまだいい方でしょう。首都アクラには野口英世記念館があるのです。
ガーナは西アフリカに位置し、かつてオランダやイギリスの植民地として、奴隷貿易の中心地となりました。その名残は奴隷積出港の跡が各地に残っていて世界遺産にも指定されています。またエネルギッシュな市場なども見どころです。2019年に西アフリカ6か国を周遊したペンギン2号こと井原三津子がそんなガーナの魅力に迫ります。
ガーナってどんな国?
西アフリカでギニア湾に面したガーナは、東西にトーゴやコートジボワールと国境を接した国です。日本の約3分の2ほどの大きさで、西アフリカの中では治安がいい国と言われていて、観光するにも安心感があります。
首都アクラは海岸沿いに面した町で、魚市場など活気に満ち溢れた、アフリカらしい混沌とした世界が広がっています。野口英世の記念館があって、日本人が訪れると感慨深い展示品が並んでいます。
海岸線に面して、いくつもの城塞や奴隷積出港の跡が残されていますが、世界遺産に指定された奴隷貿易の遺産と言われるケープコースト城やエルミナ城は必見です。アクラから日帰りでの見学も可能。
また謎めいたアシャンティ王国の謎を見つけに、ガーナ中部に位置する第2の都市クマシを訪れたいものです。独特の建築物群が世界遺産に指定されています。
ガーナでは町を行く女性たちは皆カラフルなワンピースやサロンを身に付けて、黒い肌にとても似合っています。市場ではかなり冷たい仕打ちを受けるのですが、それもまたディープな西アフリカの国ならでは。他の国々では体験できない本物のアフリカの世界を垣間見ることができるのです。
ガーナへの行き方
日本からガーナの玄関口である首都のアクラまでの直行便はありません。エチオピア航空のアジスアベバ経由便や、カタール航空のドーハ経由便。ターキッシュエアラインズのイスタンブール経由便、エミレーツ航空のドバイ経由便などのフライトを利用するのが一般的です。例えばターキッシュエアラインズだと、羽田からイスタンブールまで直行で約12時間半。そこからアクラまでは直行で7時間ほどかかります。西アフリカは意外に遠いですね。辺境の国というイメージにぴったりのアクセスです。
ガーナはビザの取得のほかに、日本で事前に準備することがあります。ひとつはイエローカードの取得。黄熱病の予防接種のことで、入国時に一番にチェックされます。予防接種は一度受ければ、現在は一生涯有効になっています。
もう一つはマラリア予防薬の購入です。向こうに着いたらすぐに服用を開始するので、事前に日本で購入が必要です。
現地に着いたら機内で配られる入国カードに必要事項を英語で記入の上、イミグレーションで提示します。その際、アメリカのように顔写真撮影と指紋も採られるようになりました。
ガーナへのツアー
ガーナなどの西アフリカへのツアーは、単独の1か国だけのツアーはほとんどなく、通常は団体旅行で周辺の国々も一緒に廻るものが主流です。数か国廻ると、日数の関係であくせくした旅行になりがちですね。本当に行きたい国をチョイスして、ガーナと組み合わせてじっくり見に行きたいなら、団体ではなく個人旅行を扱っている旅行社に相談するのが得策です。
現地に詳しい旅行会社で、渡航経験のあるスタッフがいるところなら安心して任せられます。希望の日数と行ってみたい国々を言えば、ベースになるツアーを紹介してくれたり、希望に応じてベースになるツアーを自由にアレンジして手配してくれます。こうした未知なる国への旅は、やはり現地の生の情報を持っているかどうかがカギとなるので、そのあたりを見逃さないようにしましょう。
野口英世とガーナ
ガーナを訪れるなら絶対に見逃せないのが野口英世記念館です。ガーナと言えば野口英世を思い出す人が多いはずですが、黄熱病の研究にその身を捧げた偉人なのです。ここガーナの首都アクラの町にある国立のコルレブ病院で半年ほど滞在し、黄熱病の研究をしている間に、自身も発症して51歳で亡くなったのです。なのでこの病院の敷地には野口英世記念館があり、今も観光客を受け入れてくれるのです。
建物の一室が研究所になっていて、今でも学生たちが使用しています。野口英世の手紙や写真、新聞などが展示され、壁には「忍耐」という直筆の書も飾られています。庭には日本庭園があって、石碑や灯篭が立てられています。野口英世氏が日本とガーナの懸け橋となったことをうかがい知ることができる貴重な見どころなのです。
ガーナの超絶パワフル市場に負けるな!写真撮影を決行だ!!
ガーナの混沌とした市場は極めてパワフルな場所です。まさに地元の地元民のための市場です。 「カメラもカバンも気を付けて!!」ガイドさんが叫びます。スリやひったくりはここでは当たり前で、リュックは前に抱っこするようにして、野菜や果物、魚に干し魚の強烈な臭いの中、人込みをすり抜けるように進んでいきます。
市場で売っている人々、特に女性たちは外人には本当に冷たいのです。アフリカでも有数の冷たさ!
魚市場は新鮮な魚が所狭しと並べられ、カラフルな衣装の女性たちが売っているから、写真を撮ったら絵になりそうです。でも撮ったら怒られるし、撮らせてと言ったら嫌だと言う。遠くの方から望遠で狙うけれど、近くではなかなかうまくいかないのです。
写真は勝手に撮ったのがバレたら激怒されます。まず、撮ってもいいですか?と謙虚に頼んでも、あっちへ行けー!と追い払われる。排他的で喧嘩腰の女性たち。ガイドさんからいろいろ説明して頼み込んでもらったところ、やっと5シディ(約100円)払えば魚だけは撮ってもいいと言う。それでも顔はNG。それはないでしょう!
観光客が来ないから慣れていないのでしょうか、写真1枚撮るのさえ一筋縄ではいかないとは。ガーナの市場はさすがに最強。仕方がないので、ガイドさんが話をしている間に、数枚の隠し撮り。もしくはガイドさんが数匹魚を買ってくれて、引き換えに写真撮影したケースも。
よってガーナの市場の女性たちの写真は極めて貴重なのです。
奴隷貿易の遺産エルミナ城とケープコースト城は必見
アクラの町から車で約3時間に位置する港町エルミナ。1482年ポルトガル人によって作られたサハラ以南で最古のヨーロッパ建築であるエルミナ城があって、これは是非見ておくべきガーナでの必見スポットです。
周辺国やガーナで集められた奴隷が船に載せられアメリカ方面へ送られた出発地点としてガーナで3か所ありますが、そのひとつとして知られているのがエルミナ城で、世界遺産に指定されています。
内部見学はグループごとにガイド付きで廻ります。奴隷が収容されていたスペースは暗くて狭く、いるだけで気持ちが悪くなって耐えられず外に飛び出しました。4月下旬のガーナの気温は35℃を越えそうでした。灼熱の太陽が照り付けていて、思わず日陰を探して逃げ込んだ私でした。負の遺産の負のエネルギーにやられたのかも。
エルミナ城から東へ13㎞程にあるもう一つの奴隷の積み出し港がケープコーストです。ケープコースト城は上は城ですが、下の方は奴隷の留置場。こちらは気分も治っていたので丁寧に見学できました。男女別で狭くて真っ暗なところに1000人位まとめて詰め込まれたといいます。
DOOR TO NO RETURN 2度と戻れない扉。そこから出ると船が待っていてアメリカ、カリブ、ハイチなどへ船出していきました。ドアの内側へは戻れない。
ドアの外にはDOOR TO RETUN と書かれています。幸運にも戻って来れた人がそのドアから中へ入ると、すぐ右側には「ようこそ」とガーナの言葉で書かれているのです。
城の上は要塞です。大砲が今でも並び大きな丸い弾丸が積み上げられたまま残されているのもさすが世界遺産。要塞の隙間から外を覗くと、そこはビーチと港で、小舟がたくさん集まっていて漁師や子供たちがいっぱいいて、海で遊ぶ子供たちの歓声がして活気に満ちているのです。
果てしなく暗い過去を持つ城では、相反する明るいムードいっぱいの今がありました。
アシャンティ王国の謎を求めてクマシへ
ガーナ中部、アシャンティー州にあるガーナ第2の町クマシ。ここには、17世紀から20世紀初頭にかけて栄えたアシャンティ王国が存在していました。
王国を築いたアシャンティ人の伝統文化を伝える建築物群が世界遺産に指定されています。泥やヤシの葉などの建材で造られた中庭を取り囲む形の家は、茅葺き屋根のように素朴で、動物や人をかたどった木彫りの装飾など、風通しの良いつくり方がユニークです。泥の彫刻も動物がモチーフとなっていたり、独特のものです。
世界遺産の建築群も、オリジナルはイギリスとの戦争の結果、大半が失われて再建されたものだそうです。王国も1901年にイギリスに併合されました。しかしながら代々続いてきた王様の権力は多大なものがあったそうです。ガーナ独立後の現在も、王位こそないものの、いまだにその権力を持ち続けているという話です。
さすがは西アフリカの秘境の国ガーナです。そうした隠れた王国の謎に触れにクマシへも足を延ばすのはいかがでしょうか?