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海外旅行に行くときにあなたはどのように目的地を決めますか?美しい自然の景色、奥深い歴史を感じる遺跡、その土地ならではの名物料理、あるいはショッピングも旅行に重要な要素ですよね。
もしそれでも目的地としての決め手に欠ける場合はご自身の好きなカルチャーの舞台・ルーツをもう1つの要素として考えてもいいかもしれません。
今回はビートルズを題材にして、彼らが辿った軌跡を場所とともに紹介していきます。彼らの歩んだ実際の地に足を運ぶと、何度と聴いた曲でも新鮮に響くことでしょう!
いまさらながら…ビートルズとは?
今更ビートルズの名前を聞いたことはない人はいないでしょうが、彼らの功績の中で何が偉大だったかをすぐに言える人はそこまで多くはないかもしれません。
ボーカル・ギター・ベース・ドラムの4人編成のバンドスタイル、そして自作の曲を書いて自らが演奏するという現在のロックバンドにおける基本形はビートルズが確立したものとして異論はないでしょう。
そして何よりも彼らの音楽はエルビス・プレスリーやチャック・ベリーなどリズム&ブルース色の強いロックンロールがベースですが、それに彼らの出自のケルト民謡やクラシック音楽をジャンルレスにミックスし、耳馴染みのよいポップソングへ昇華させました。結果、彼らの音楽は後進のミュージシャンに大きな道を切り開くとともに、人種や国境を越えあらゆる人々に届くポップミュージックとして今も世界に親しまれています。
ビートルズ誕生の地・リバプール
そんなビートルズの誕生は1957年のイングランド北西部の湾岸都市・リバプール。当初はビートルズの中心的なメンバーであるジョン・レノンが結成していた前身バンド「クオリーメン」に地元の楽器のうまいポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンがメンバーに加えられました。まだジョン17歳、ポール15歳、ジョージ14歳くらいの時の話です。
ちなみに最後のメンバー、リンゴ・スターの加入は(同じリバプール出身ではありますが)この時点ではまだ先の話。この時代のドラマーは別にいたのです。
話をリバプールに戻しましょう。
ビートルズのメンバーが誕生したリバプールには、作品のインスピレーションの元になった出来事や彼らの原体験にまつわる場所がたくさんあります。
メンバーの生家、キャヴァーンクラブ、ペニーレーン、ストロベリーフィールズ、エリナー・リグビーの墓石など、ジョンやポールが見たであろう風景はリバプールで今も息づいているのです。
ちなみに効率よく観光するならタクシーをチャーターするか、「あの」マジカルミステリーツアーバスに乗って巡るのがおすすめです。特にマジカルミステリーツアーは気分が高まりますよ!
国 | イギリス |
アクセス | リバプールのジョン・レノン空港には日本から定期運行のあるルフトハンザ航空が乗り入れている。 あるいはブリティッシュエアウェイズやKLMオランダ航空でマンチェスター空港を目指して、 そこから列車やバスで約1時間でアクセス可。 |
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ビートルズの下積み時代・ハンブルク(ドイツ)
リバプールを中心に巡業を行っていたビートルズではありますが、1960年にドイツのハンブルクに行くことになります。当時のドイツは第2次世界大戦の敗戦の影響からまだ抜け出せない状況ではありましたが、ハンブルクは欧米の軍人や船乗りのための繁華街としてヨーロッパ随一の大変な賑いを見せていたのです。そんな中で、リバプールの巡業よりも遥かによい給料をもらえるハンブルクは彼らにとって魅力的だったのです。
ハンブルクでのビートルズを取り巻く環境は劣悪でした。なんせ毎日8時間を超える演奏、さらには気性の荒い船乗り、酔っ払っいや関心がない客に対しても演奏しなくてはならないのですから。しかしこのハンブルクの下積み時代は、彼らの演奏技巧を格段に高め、人気を獲得するためのライブパフォーマンス術を身につける契機になったのです。
そんなハンブルクの歓楽街レイパーバーンには彼らが演奏していた「インドラ」「カイザーケラー」などのクラブがいまだ現存しており、当時の面影を感じることができます。
国 | ドイツ |
アクセス | ハンブルクへはルフトハンザ航空やKLMオランダ航空、フィンランド航空、ターキッシュエアラインズなど各社が運航。 列車の場合はベルリンからは2時間、フランクフルトからは3.5時間。 |
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ビートルズ最大の暗黒時代!?リシケシュ(インド)
ハンブルクの下積み時代を経て、リンゴ・スターを加えて1962年にデビューしたビートルズはファースト・アルバム『Please Please Me』で30週間連続1位を獲得するなど破竹の快進撃を続けます。1964年にはアメリカをはじめ、日本でもビートルズ人気は爆発するわけですが、1966年には異常とも言える熱狂、スケジュールの過酷さ、不満足なPA設備などを理由に「67年はツアーを行わない」とジョージは明言したそうです。
そんな中で心のやすらぎ、そして新たなインスピレーションを得るために、1968年メンバーが訪れたのがインドのリシケシュでした。このリシケシュ行きの中核となったのがジョージ。ジョージは以前からシタールやタブラなどインド楽器に傾倒しており、その影響は1965年の『Rubber Soul』収録「Norwegian Wood」のイントロや1966年『Revolver』収録の「Love You To」などに見られていました。
しかし実際に訪れてみるとリンゴは食事が合わないという理由でも2週間も持たずリタイア。ポールは1カ月で帰国。ジョンとジョージは2カ月いたそうですがグル(師)であるマハリシのセクハラ疑惑に幻滅して帰国したそうです。
ジョージがインド思想に傾倒した時の音楽は「Norwegian Wood」を除き、今となっては時代に取り残された感が強く、評論家からは実際良い評価は得ていません。しかしながらビートルズで最も評価が高いアルバム『White Album』の膨大な曲のアイデアが、瞑想ばかりで暇だったメンバーによりもたらされことは幸運と言えるかもしれません。
リシケシュにはビートルズが瞑想したというアシュラム(道場)が残っており見学が可能です。
国 | インド |
アクセス | インドの首都デリーから鉄道で行くのが一般的。まずはハリドワール駅まで5時間、そこからバスに乗り換えて1時間。 リシケシュには飛行場はないため、飛行機で行く場合はリシケシュから約20キロ離れたデヘラードゥーン空港へ。 |
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ビートルズが黄金時代を過ごしたホームタウン・ロンドン
1966年サンフランシスコでのライブを最後に巡業公演を終了したビートルズは、レコーディング・アーティストとしてその頭角を現していきます。その萌芽は、すでに1965年「Nowhere Man」や66年の「Paperback Writer」の多重録音に見られるようにライブでの再現を念頭においた作品作りではなくなっていました。
そんなアーティストとしての側面が遺憾なく発揮されたのが67年の『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』でしょう。この作品は「世界初のコンセプトアルバム」とも言われ、非常に革新的なものでした。
ちなみにビートルズが公式に発表している210曲の内190曲をロンドンのアビーロードスタジオで録音したといわれています。まさにアビーロードスタジオはビートルズにとっての「ホーム」と言ってもいいでしょう。なんせポールはビートルズ解散後も「最も使い慣れているから」という理由で自宅にアビーロードの第2スタジオを再現しているほどですから。
そんなホームタウンであるロンドンにはビートルズにゆかりのある場所が多数存在します。世界一有名なジャケットである『Abbey Road』の横断歩道、アイドル時代の映画のロケ地・メリルボーン駅、「ルーフトップコンサート」の場所と知られるアップル・コープス本社跡地などは、ビートルズファンには堪りません。
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まとめ
リバプール | ビートルズ誕生の街。歌詞に出てくるファン歓喜のスポットが多数。 |
ハンブルグ | ビートルズの下積み時代を過ごした場所。ライブハウスも残っている。 |
リシケシュ | ビートルズがインスピレーションを得るために訪れた場所。 |
ロンドン | ビートルズが多くの時間を過ごしたスタジオやアビーロードが残る。 |
すでに訪れたことのある街でも興味のあるテーマに沿って見てみると、また違った側面が浮かびあがりますよね。そして改めて曲を聴くと実際に訪れたときの風景がありありと思い浮かんで、よりリアルに感じることができます。
あなたも好きな作品やアーティストをテーマに旅をしてみては?