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アフリカ大陸北東部のエリトリアは、「アフリカの北朝鮮」といわれているほど独裁国家として知られる謎の多い国です。現地情報が少なく、外国人が入国した都市から移動するには、観光省から許可証を得ないといけないなど少々面倒な国ですが、国内の治安状況や人々の暮らしは穏やかそのものです。見所は決して多くないものの一般的な観光も可能です。本稿ではそんなエリトリアのうち、イタリアの遺産があふれる高原都市「アスマラ」と紅海に面した歴史都市「マッサワ」のおすすめの観光スポットをご紹介いたします。
正式国名 | エリトリア国(State of Eritrea) |
首都 | アスマラ |
面積 | 11.76万㎢ |
宗教 | キリスト教、イスラム教等 |
言語 | ティグリニャ語、アラビア語、諸民族語 |
通貨 | ナクファ(ERN) |
独立戦争の悲惨さを物語る「戦車の墓場」(エリトリア/アスマラ)
通称「戦車の墓地」はアスマラ市内の米軍カニュー通信基地跡地のすぐ傍にある、廃棄された大量の戦車や軍用車両等が積み重ねられている一角を指します。これらは独立戦争に際して、エチオピア軍の撤退時等に捕獲した旧ソ連製や米国製等の戦車や軍用車両、対空砲などが山積みされたもので、あたりには何の標識も説明もないものの、圧倒的な廃棄兵器の量が30年にわたる独立戦争の苛烈さを物語っています。
この戦争では10万人以上の尊い命が犠牲となりました。2000年に和平協定が結ばれ、国連監視のもとで国境画定の協議が続けられましたが、未だに決着を見ず、両国軍の緊張状態は続いています。アスマラを訪れた際は是非見てほしいポイントの1つです。
アスマラのランドマーク「アスマラ大聖堂」(エリトリア/アスマラ)
アスマラ大聖堂は、イタリア植民地時代の1922 年に建てられたカトリックの聖堂で、町のランドマーク的存在です。ロマネスク様式の建物は、この国の多数派を占めるエチオピア正教の教会とは全く違う雰囲気を持っています。レンガの赤が目立つこの教会に足を運ぶと、まるでヨーロッパにやってきたような錯覚に見舞われます。
大聖堂のシンボルとなっている、高いゴシック様式の鐘楼は、ロンドンのウエストミンスター宮殿の時計塔(通称ビッグベン)を模したもので、高い建物がほとんどないアスマラで散歩をする際の目印にもなります。この塔にはガイドの案内があれば登ることができ、市街の素晴らしい眺めが一望できる場所となっています。聖堂は、男子・女子修道院でもあり、小学校と共に同敷地内に設置されています。運が良ければ小学校の子供達と交流することもできるかもしれません。
アスマラ大聖堂
イタリア・アールデコ建築の傑作「アスマラ・シアター」(エリトリア/アスマラ)
「アスマラ・シアター」は、有名な建築家・技師であったオドアルド・カヴァニャーリの設計で1918年に建てられました。特に正面玄関の堂々たる佇まいはとても印象的で、ロマネスクやルネッサンスなど、多様なスタイルが融合されています。
この建物は元々劇場として建てられましたが、1930年代に映画館に改装されました。1957年にハイレセラシエの義理の息子(当時のエリトリア代表)に売却されるまで映画館として営業していましたが、現在は再び劇場として利用されています。1920~1930年代のイタリア植民地時代を忍ばせるアスマラ・シアターは必見の観光ポイントです。
アスマラ・シアター
レトロ感溢れる「シネマ・インペロ」(エリトリア/アスマラ)
シネマ・インペロは、1937年、イタリア植民地時代の最後の時期にアスマラに建設された最大の映画館です。特に建物正面が特徴的で“CINEMA IMPELO”の文字に囲まれた円形や方形の窓は、1930年代の映画館建築としては異彩を放っています。
ロビーも白い大理石の階段も当時のままです。館内装飾も意匠が凝らされ、観客席から舞台を隔てる柱にはライオンの柱頭が、壁にはダンサーやヤシの木、アンテロープなどアフリカらしいモチーフが化粧漆喰で描かれています。館内には映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を彷彿させるような古い映写機も展示されています。アールデコ調のレトロ感がなんともいえません。現在でも映画が上映され、地元民にも愛され続けている映画館を是非覗いてみてはいかがでしょうか。
シネマインペロ
イスラムとイタリア建築融合の象徴「グランドモスク」(エリトリア/アスマラ)
グランドモスク(Al Khulafa Al Rashiudin)は1938年イタリア植民地時代に建てられたモスクで、ムーア様式(イスラム風建築)とローマン様式(イタリア風建築)が融合した大変珍しい建築です。すぐ近くには教会があり、異なる宗教が共存する国エリトリアを象徴しています。
モスク正面には、ダークストーンのブロックが幾何学模様に敷き詰められた広場があり、タクシーや地元の人々の溜まり場となっています。アスマラには、イスラム教徒が多く、このモスクは都会生活をおくるイスラム教徒にとって、最も重要なところとされています。
グランドモスク
砲撃の跡が生々しい旧皇帝宮殿(エリトリア/マッサワ)
16世期にオスマン帝国によって作られた宮殿で、イタリア植民地時代はマッサワ市庁舎として使われました。エチオピア支配期に、エチオピア最後の皇帝ハイレ・セラシエ皇帝が、エチオピア海軍士官学校の卒業式のために毎年マッサワを訪れた際に使用したため、皇帝の宮殿と呼ばれています。
2階建ての上にドームを頂く独特の建物ですが、1980年代後半の独立戦争期にエチオピア軍からの爆撃を受け、現在は廃墟となり、遠巻きに眺めることしかできません。現在はエリトリア政府の所有になっており、戦争時の悲惨さを語り継ぐためにそのまま保存されています。砲撃の跡が生々しい旧皇帝宮殿はマッサワに来たら是非見ておきたいポイントです。
旧皇帝宮殿
現存するアフリカ最古の銀行建築 旧イタリア銀行(エリトリア/マッサワ)
旧イタリア銀行は現存するアフリカ最古の銀行建築の1つです。1920年代にイタリア人によって建てられ、数十年間、イタリア統治下において最大の銀行として機能していました。その後、エチオピア占領下においては、ハイレ・セラシエ銀行と改名されました。
この建物は四面をバルコニーに囲まれ、コリント式柱頭、有孔欄干、クローウィング・コーニス、中方立て窓など細部の装飾にも贅が尽くされ、マッサワの黄金時代を彷彿とさせます。独立戦争の間に、旧ソ連とエチオピア軍の爆撃により大きく損傷を受け、しばらく廃墟となっておりましたが、現在はクウェート企業による修繕計画が進められ、全室スイートルームの高級ホテルに生まれ変わる予定です。
旧イタリア銀行
まとめ
今回は、かなりマイナーな国をご紹介させていただきました。イタリア植民地時代に建てられた教会やシアター、廃墟と化した宮殿など、アフリカというイメージからは想像できないような観光スポットが多数あります。冒険心をくすぐられるエリトリア、未知なる国へ訪れたい!という方は、是非、「いつか行く国リスト」に入れておいてくださいね。