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中央アジアに位置するタジキスタン共和国は、日本人にとってなかなか旅行先の候補として挙がらない国の1つかもしれません。
一般的に有名な観光地があるわけではなく、タジキスタンの首都であるドゥシャンベまでは直行便はおろか乗継便でもアクセスが悪いのです。しかもアフガニスタンと国境を接しているのでイメージだけで危険な国と思われがちですよね。
実はタジキスタンは特にヨーロピアンの旅行者には大変人気があるのです。同じアジア人の日本人よりもヨーロッパ人に人気のあるタジキスタンとは一体どんな国なのでしょう?
ではこれからタジキスタンの秘密を紐解いていきましょう!
タジキスタンってどんな国?
タジキスタンは北にキルギス、西にウズベキスタン、南にアフガニスタン、東に中華人民共和国と国境を接する中央アジアの国です。
その国名の通り、国民の約85%はタジク人と呼ばれる民族です。対してお隣のウズベキスタンも同様に人口の85%もの民族はウズベク人なのですが、ウズベク人とタジク人は似ているように見えて実は全く違います。
ウズベク人はテュルク系民族ですが、タジク人はそのルーツをペルシア系に持っているからです。
ウズベキスタンであれば、服装やメイクによっては日本人だとばれないかもしれませんが、タジキスタンの場合は顔立ちが根本的に違うので街を歩けば外国人だとすぐばれます。目鼻立ちのはっきりした美しい人が多いのが印象的な国です。
ちなみにウズベク人だけでなく、近隣の民族であるキルギス人やカザフ人、トルクメン人もテュルク系民族ですので、タジク人のエキゾチックな顔立ちが珍しいことが良くわかります。
経済的には中央アジアの国の中で、最も貧しい国の1つです。主な産業はアルミニウム生産と綿花栽培。アルミニウムは国営企業の「TALCO」が生産を推し進めており、世界シェアの1.2%を占めています。綿花栽培を中心とした農業も盛んで、農業の従事者の割合は全人口の25%、GDPの19%を占めています。
ロシアなど国外から安い労働力を頼って得られる歳入も多く、海外からの送金の割合はGDPの35%にも昇ります。働き盛りの男性がロシアに出稼ぎに行くことも少なくないのだとか。
タジキスタンへの行き方
タジキスタンへの行き方は、前述したように直行便どころか乗継ぎ便でもアクセスが良くないため、近隣諸国から陸路で入国することが一般的です。
代表的な行き方は2つあります。ウズベキスタンのタシケントからタジキスタンのホジェンドへのルート、そしてウズベキスタンのサマルカンドからタジキスタンのペンジケントへ行くルートです。
どちらもウズベキスタンから日帰りでも行くことはできますが、タジキスタンの入国審査では意外に時間がかかることからできれば1泊はすることをおすすめします。
タジキスタンに入国するには日本国籍の場合、必ずvisaを準備してください。
2021年、コロナ禍の現在、タジキスタンのビザはE-visaが撤廃され、事前にトルクメニスタン政府に認可された旅行会社が発行する招待状をもって大使館に申請する必要があります。
そのため急に思い立ってタジキスタンに行くことはできません。
タジキスタンに行く場合は、余裕をもって旅行会社に依頼をしましょう!
タジキスタンへのツアー
前述したようにタジキスタンに行くには政府が認可した旅行社が発行した招聘状が必要となりますので、基本的には個人旅行ではなく団体旅行がメインになります。
ただし団体旅行ですと、自分はすでに行ったことがある国でも、ツアーの都合上仕方なく参加せざるを得ない場合もありますよね。特にウズベキスタンは日本からもアクセスしやすく人気のある国なので、「ウズベキスタンはすでに訪れたので、行かなくてもよいのに・・・」という方も多いはず。
そんな時には、個人手配でもタジキスタンへ行くプランを見繕ってくれる旅行会社もありますのでそういった会社に依頼するのがいいでしょう。団体旅行ではないので、日にちも限定されず、自由がききます。
ただしタジキスタンには日本語ガイドはほぼ皆無なので、中学生レベルの英語力は身に着けておきたいところです。
タジキスタンの見どころは?
パミール高原を抱えるタジキスタンは国土の平均標高が3,000mにもなる山岳国家です。そのため雄大な自然がタジキスタンの大きな魅力です。
パミールの山岳地帯ではワヒ族・キルギス族などの少数民族が暮らしており、大自然の中で数百年続く人々の素朴な営みを垣間見ることができます。春から秋にかけて咲き乱れる色とりどりの美しい高山植物も世界中の観光客を惹きつける大きな理由となっています。
自然の美しさのみならず、タジキスタンは歴史上の重要な交易地としても知られています。タジキスタンは中国・インド・アフガニスタン・イランなどを結ぶ、まさに文明の十字路だったのです。
紀元前4世紀、かのアレキサンダー大王による東方遠征は、このタジキスタンまで及んだとされています。そのためアレクサンダー大王にゆかりのある遺跡も多数発掘されているのです。
またタジキスタンはシルクロード交易の中心を担ったソグド人の住む国「ソグディアナ」のあった場所として深い歴史があります。8世紀にイスラム勢のウマイヤ朝により、ソグディアナは世界史の表舞台から姿を消すことになりますが、宗教や民族を超えて積み重なった歴史はタジキスタンならではと言えるでしょう。
タジキスタンの首都 ドゥシャンベとは?
ドゥシャンベはタジキスタンの中でも旧ソ連の面影を残す街です。1961年まではソ連の最高指導者であったスターリンの名前をとってスターリナバードという都市名でした。
ドゥシャンベという名前は月曜日という意味で、月曜日に大きな市場が開かれることからこの名前がつきました。
ドゥシャンベの大きな観光スポットを2つご紹介いたします。
1つ目はルダーキー広場に建つ、イスマイール・サーマーニーの像です。イスマイール・サーマーニーは中央アジア最後のペルシャ系の王朝(サーマーン朝)の全盛期を支えた人物です。そのためペルシャ系の人々が住むタジキスタンの英雄となっています。ソ連時代はこの場所に大きなスターリン像が置かれていましたがタジキスタンの独立に際してサーマーニー像に置き換えられました。ちなみにタジキスタンの通貨のソモニは、イスマイール・サーマーニーの姓からとられています。
2つ目はタジキスタン総合博物館です。2013年にオープンした4フロア22ホールからなる立派な博物館でタジキスタンの歴史を石器時代から現代まで解説しています。中でもソグド人の生活を描いた色鮮やかな壁画は当時の生活を忍ばせる貴重な資料となっています。
ウズベキスタンから日帰りでも行けるホジェンドの魅力
ホジェンドはウズベキスタンとキルギスの国境に近いソグド州の州都であり、タジキスタン第2の都市です。幾多の支配者によって様々な国へ編入されてきた歴史を持ちます。
初めてその名を刻まれたのは紀元前6世紀頃。キュロス大王がアケメネス朝ペルシアの北東の境界線として建設した都市としてです。
その後、紀元前329年、アレキサンダー大王率いるマケドニア軍が侵攻し、ギリシア人の入植地としてアレクサンドリア・エスハテ(最果てのアレクサンドリア)と呼ばれ、シルクロードの重要な拠点となりました。
8世紀にはウマイヤド朝とその後のアッバース朝に組み込まれ、サマノイド帝国の一部へ。ホジェンドと呼ばれるようになるのはこの頃からです。
13世紀にはモンゴル軍に制圧されモンゴル帝国の流れを組むティムール朝に組み込まれます。その後ブハラのシェイバニー王朝の時代を経て1866年、中央アジアの大部分がロシア帝国に占領されたため、この都市はロシア帝国の支配下にあるトルキスタンの総督府の一部となりました。1991年まではソビエト連邦の一部としてレニナバードと呼ばれましたが、ソ連解体後はタジキスタン共和国独立に伴いホジェンドに改称し現在に至ります。
ホジェンドの見どころを3つご紹介いたします。
1つ目はソグド歴史博物館。歴史深いホジェンドを知るには欠かせません。中でも地下のアレクサンドリア大王の生涯をモザイク画で表現した地下のギャラリーが圧巻です。
2つ目はアーボブ文化宮殿。サンクトペテルブルグのペテルゴフ宮殿をモデルとし、美しい彫刻が施された噴水と調和の取れたデザインとソ連時代の職人技が光る豪華絢爛な内装は見事の一言です。館内はソ連時代の歴史や集団農場(コルホーズ)の解説、そして集団農場の設立に尽力したウルホジャエフについての展示が充実しています。
3つ目はシェイフ・ムスリヒディン・モスクとパンシャンペ・バザール。ホジェンドにおいて最も活気を感じるエリアです。モスクとバザールは大きな広場を挟んで真向かいに建てられていますので、モスクで穏やかに行き交う人々を眺めて心おだやかに過ごすのもいいですし、バザールでタジキスタンの人々の日常を垣間見るのも楽しい場所です。
シルクロード交易を担ったソグド人の古代都市・ペンジケントとは?
シルクロード交易を担ったソグド人の国ソグディアナは現在のウズベキスタンのサマルカンド州とブハラ州、タジキスタンのソグド州に広がって存在していたと言われています。
ウズベキスタンとの国境近くにあるペンジケントはシルクロード交易の要所でした。そのため、ソグディアナ文明を知るための重要な遺跡が多く残されています。
ペンジケントの大きな見どころは2つあります。
1つ目はアンシャント・ペンジケント。ソグディアナの古代都市で、8世紀のイスラム勢の侵略の際に住民が街を放棄したため、比較的保存状態が良い遺跡です 。そのため「中央アジアのポンペイ」とイタリアのポンペイになぞらえて表現されています。遺跡にはゾロアスター教の宮殿や住居の跡などが見て取れ、かつての賑わいを現代に伝えています。
2つ目はサラズム遺跡です。サラズムはタジキスタンの世界遺産の1つで、100ヘクタールもの広大な古代都市の跡です。時代はアンシャント・ペンジケントよりもさらにさかのぼった紀元前3000年頃。この地は牧畜・農業、そして銅の生産地として重要な役割を果たしていたと言われています。歴史ある中央アジアでも最も古い遺跡に数えられています。
いつかは訪れたい中央アジアの秘境!ワハーン回廊
中央アジアの秘境中の秘境と言えるのがこのワハーン回廊かもしれません。ワハーン回廊とはタジキスタン、アフガニスタンにまたがる山岳地帯です。アフガニスタンとの国境に近いため、外務省では危険度レベル3に指定されており、日本の旅行会社でプランを組むことは困難です。
しかし欧米の旅行者には非常に人気があります。2010年頃、イギリスのBBCがワハーン回廊を「人々は優しく安全で、素晴らしく風光明媚」であると紹介したのが大きなきっかけです。
欧米の旅行者の中にはアフガニスタンのビザを取得して3週間から4週間程度のトレッキングの旅をするツワモノもいます。実はタジキスタンの観光に訪れる欧米人のほとんどはこのワハーン回廊を目指しているのです。
でも普通に働いている日本人の方であればそんなに長いお休みは取れないですよね。
そんな場合はパミール・ハイウェイのドライブはいかがでしょうか?パミール・ハイウェイとはタジキスタンのホルグからキルギスのオシュまで続く約1,400kmの道のりで世界で2番目に標高の高いハイウェイ(最高地点アク・バイタル峠の4,655m)として知られています。
エメラルドグリーンのカラクル湖や4000m級の雄大な山々のダイナミックな風景とともに、キルギス族のユルタや伝統衣装に身を包みロバや馬に乗った伝統的な暮らしをしている人々の姿を見ることができるでしょう。
是非とも訪れてほしい絶景なのですが前述の通り、なにせ危険度が高い地域なので、一刻も早く安心して観光ができる日を望むばかりです。