目次
「もしもタイムマシンがあったなら・・・」貴方はどこへ行きますか?今回は「歴史」という題材をさらに掘り下げ、「中世の世界旅行」をテーマにおすすめスポットを紹介します。「中世」という歴史区分は主に西洋史に対する概念となり、大まかに5世紀から15世紀までを指します。本記事では典型的な中世のヨーロッパではなく、同時代の中近東、アジアやアフリカにも目を向けてご紹介します。なお、もし宜しければ原田真二さんの『タイム・トラベル』をBGMに聴きながら読んでみて下さい♪それでは時間旅行へ行ってらっしゃいませ!
十字軍遠征最大の目的地は3つの宗教が交わるエルサレム
「十字軍」を簡単に説明すると、キリスト教徒が聖地とされる都市エルサレムをイスラム教徒から奪還するために派遣した遠征軍のことです。11世紀から13世紀にかけて、7回もの遠征が行われました。ただ、十字軍の概念はキリスト教徒側からの視点であり、イスラム教徒から見ると壮大な侵略行為。イスラム教徒にとっても、エルサレムは聖地なのです。
歴史は多様な角度から捉えることが大切です。イスラム教徒視点の十字軍遠征における歴史の中で、第3回十字軍の時に活躍した英雄と称されるサラーフ・アッディーン(サラディン)という人物に焦点を当てましょう。彼は、十字軍に勝利しエルサレムを守り抜きます。十字軍側はそれまでの遠征で捕虜となった人々を殺めてきましたが、サラディンは基本的に捕虜に手を掛けなかったのです。その慈悲の精神や寛大さから、歴史上でも人気の人物となっています。
首都 | イスラエル |
宗教 | イスラム教 キリスト教 ユダヤ教 |
言語 | ヘブライ語 英語も広く通じる。 |
時差 | 日本から-7時間 |
通貨 | 通貨単位はシュケル(Shekel, NIS)。補助単位はアゴラ(Agora)。 |
備考 | 3つの宗教の聖地です。観光する際は肌の露出を控えるなど服装に気を配り、それぞれの文化を尊重しましょう。 エルサレム旧市街は徒歩観光になるため、歩きやすい靴を履きましょう。 |
長い歴史を持つエチオピア!神聖な岩の教会に歴史が刻まれる
それではアフリカの歴史で重要なエチオピアへ行きましょう!この国は、紀元前から歴史を重ねており、世界最古の国と称されることもあります。鍵となる場所は世界遺産でもあるラリベラの岩窟協会群。なんと世界で初めて登録された12件の世界遺産の中の一つです。実はこの遺跡、先に紹介したエルサレムと繋がりがあります。
首都 | アディスアベバ |
宗教 | エチオピア正教会 イスラム教 |
言語 | アムハラ語 観光地は英語も比較的通じる。 |
時差 | 日本から-6時間 |
通貨 | 通貨単位はブル(Birr, B)。補助通貨はセント(Cents)。 |
備考 | アフリカ諸国の中では比較的治安のよい国ですが、アディスアベバのメルカート地区の裏道は避けて下さい。 |
ラリベラは、かつてエルサレムがイスラム教徒の手に陥落した際(サラディンが活躍した第3回十字軍前後)、エルサレムに代わる新たな聖地を作るために都市計画が行われました。教会群の中で最も有名なものは聖ギオルギス教会と呼ばれる、巨大な一枚岩を正十字に掘り下げて造られた圧巻の教会です。教会というと煌びやかな装飾やステンドグラスを想像する方も多いですが、岩で出来た特異な教会には自然の神秘的な力が宿っていそうな雰囲気があります。
エリア | ラリベラ |
住所 | Unnamed Road, Lalibela, エチオピア |
備考 | エチオピアの世界遺産。 1978年、最初に登録された12の遺産のうちの一つです。 |
中世ロシアの建造美!白亜の教会を一目見たい
次の都市は打って変わって白亜の美しい建造物群が残るロシアの都市ウラジーミルとスーズダリ!実はこの地も十字軍の影響を受けた場所。キリスト教国の中でも、カトリック以外の宗派を征服するための北方十字軍というものもあったのです。中世時代、キエフ大公国(ルーシ)が東欧の地を治めていました。公国の一つであるウラジーミル・スーズダリ大公国は、12世紀に確立しました。
当初は木造建築が主流でしたが、この地では白亜の聖堂や修道院など、石材を使った建造物が建てられるようになりました。特に1158年に建てられたウラジーミルのウスペンスキー大聖堂はロシア正教の総本山の一つとして位置付けられた重要な建造物。そんな建物を残したルーシは、13世紀になるとモンゴル帝国の侵攻を受けて滅びの結末を迎えます。支配されたロシア側からの表現である「タタールのくびき」という用語は世界史上でも有名な言葉です。
エリア | ロシア西部 ウラジーミル州(州都) |
アクセス | モスクワより電車で約3時間 |
エリア | ウラジーミル州 州都より26㎞ |
アクセス | ウラジーミルよりバスで約45分 |
モンゴル帝国が猛威!自然と生きる遊牧民の強さとは?
東欧地域を治めたルーシを滅ぼすほどに強大な力を持ったモンゴル勢力の歴史を見ていきましょう。13世紀はモンゴル帝国が大きく反映した時代です。当時のモンゴル高原には統一国家が存在せず、様々な遊牧民が独自の部族連合を作って互いに抗争を繰り返していました。それをまとめたのが、のちに初代皇帝「チンギス・カン(ハン)」となるテムジン。彼は周辺諸国に次々と遠征軍を送り、中央アジアやシベリアまで大きく勢力圏を広げました。
モンゴル帝国はなぜ少数民族にも関わらず強大な力を持ったのでしょうか?やはり、馬と生活が密接に繋がっていたことが大きな理由になります。遊牧民の生活は自給自足が基本。幼い頃から狩猟のために馬を乗りこなし獲物を捕らえることが当たり前の彼らは、馬上での戦闘にとても強かったのです。雄大なモンゴルの自然環境が、繁栄に力を貸したのでした。
首都 | ウランバートル |
宗教 | チベット仏教、イスラム教 |
言語 | モンゴル語 |
時差 | 日本から-1時間 |
通貨 | 通貨単位トゥグリグ(Tugrug) |
備考 | モンゴルの犯罪7割はウランバートルで起きるといわれています。人の多い場所ではスリや置き引きに注意しましょう。 |
中国の地を守ってきた趣深い万里の長城を歩く
モンゴル帝国の猛威は中国をも脅かしました。有名な世界遺産である万里の長城の現存する大部分は、明朝時代にモンゴルの侵攻を防ぐために築かれました。モンゴル帝国後裔の王朝である元朝は、中国本土とモンゴル高原を中心にアジア広域を支配しました。その後14世紀に入ると帝位争いで統治能力が低下し、国内で反乱が広がったことを機に崩壊へ向かい、万里の長城以南の中国は明朝として統一されました。
首都 | 北京 |
宗教 | 仏教、道教、イスラム教など |
言語 | 中国語 北京語基準の標準語の他、福建語、広東語など様々。 |
時差 | 日本から-1時間 |
通貨 | 通貨単位は人民元(RMB)。補助通貨に角と分がある。 |
備考 | キャッシュレス化が進んでいますが、地方の田舎では現金しか使えない場合があります。 四季があり、国土も広大なため、訪れる場所それぞれに適した服装を用意しましょう。 |
万里の長城の存在自体は、秦の始皇帝時代まで遡ります。それまでの時代にも長城と呼ばれる防御壁は点在しましたが、それらを繋げて万里の長城という大規模な長城に再構築したのです。その後時代を経る中で修復や延長、放棄の一途を辿り、明時代に長城防衛が復活しました。長城の上は滑りやすく急勾配で、馬で乗り越えるのが困難な巧みな造りとなっています。
住所 | 中国 北京市 懐柔区 |
アクセス | 八達嶺/北京北駅から列車で約2時間、八達嶺下車。または北京市内・徳勝門からバスで約90分 |
営業時間 | 7:00~18:00(冬期7:00~17:00) |
南インドで栄えた王国の歴史を感じるならハンピへ出発!
中国が明の時代に、宦官である鄭和は15世紀に南海遠征を行いました。中にはインドへの遠征も含まれました。当時の南インドを統治していたのはヴィジャヤナガル王国。北インドでは13世紀からイスラム化が進められていましたが、南インドではヒンドゥー教を奉じてインド洋交易で栄えました。この交易で重要となったものは、強力な騎馬軍を支えるための馬でした。
首都 | ニューデリー |
宗教 | ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、シク教、仏教、ジャイナ教 |
言語 | ヒンディー語 英語は補助公用語 |
時差 | 日本から-3.5時間 |
通貨 | 通貨単位はインドルピー(INR)。補助通貨はパイサ(1インド・ルピー=100パイサ)。 |
備考 | 決して治安の悪い国ではありませんが、スリや置き引きなどに注意し、基本的な対策は意識して行動しましょう。 |
同じ頃、航海で有名なポルトガルのヴァスコ=ダ=ガマがインド航路を開拓し、南部のカリカットに到達しました。そこから西アジアだけでなくポルトガルとの交易も盛んになり、やはり積極的に馬を手に入れるようになりました。北方のイスラム勢力と戦うためには必須だったのです。のちに王国はイスラム軍との戦いで滅亡しますが、王都であったハンピには当時の都市遺跡が残されています。
エリア | 南インド・カルナータ州 |
アクセス | 主要都市のゴアやバンガロール、ハイデラバードなどからバスや電車利用 |
東西文化のハイブリッド!イスタンブールで歴史を見る
最後にご案内するのは強大な力を持ったオスマン帝国です。ポルトガルによるインド航路開拓の後、この地の覇権争いに繰り出したオスマン帝国。1453年にオスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落させたことが、中世最後の大きな出来事となります。帝国の起源は、トルコ人の遊牧部族長であるオスマン1世が13世期末に率いた軍事集団とされます。
コンスタンティノープルはトルコのイスタンブールに位置し、当時の大国東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都でした。この地はアジアとの交易にも有利な場所で、歴史的にも強国間の覇権争いで攻撃を受け続けてきました。陥落後、教会や修道院はイスラム教のモスクに転用され、その姿を残しながらオスマン帝国の首都として栄えました。中世最後を飾ったイスタンブールは、何度も訪れたくなる都市です。
国 | トルコ |
宗教 | イスラム教 |
言語 | トルコ語 主要観光地であれば英語も通じます。 |
時差 | 日本から+6時間 |
通貨 | 通貨単位はトルコリラ(TL、テュルク・リラスTurk Lirasi)。補助単位はクルシュ(Kr、Kurus)。 |
備考 | 親日国でもあり、親切な人が多いです。話しかけられることも多いですが、不用意について行くことはやめましょう。 |
まとめ
いかがでしたか?
歴史を知っていると旅行の楽しみ方も変わってきますよね。
今後の海外旅行は、歴史をテーマにした場所を巡る旅もありかもしれません!