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ルーマニアとは?素朴な生活が残る欧州の国【こんな国あります!!世界の秘境】

ペレシュ城

ペレシュ城

「本物の馬車が走っていた!」
これは私が同僚に、ルーマニア旅の感想を聞いた時に出てきた言葉です。同僚がルーマニアへ赴く前、一足早くルーマニアに訪れていた私。確かに思い返してみると、なるほど世界中旅していれば観光客向けの馬車は数多くみることはありますが、移動手段として現役で馬車を使っているヨーロッパの国はあまりないかもしれません。
今回はそんなヨーロッパの素朴な生活が今も続く国・ルーマニアにスポットを当てて紹介していきたいと思います。

ルーマニアってどんな国?

ブカレスト旧市街

ブカレスト旧市街

ルーマニアは北にウクライナ、東にモルドバ、西にハンガリーとセルビア、南にブルガリアに囲まれた東ヨーロッパの国です。

住人の割合は、ロムニ人が89%。マジャル人が6%、ロマ人が2%。ロムニ人とは古代からルーマニア の地に住んでいたダキア人と入植したローマ人の混血と言われています。またマジャル人は主にハンガリーに住む民族ですが、ハンガリーとの領土問題を抱えるルーマニア北部のトランシルヴァニア地方に居住しています。

なおスラブ系民族が多い周辺の国と違い、中欧で唯一のラテン系の民族の国としても知られています。

パステルカラーの建物がかわいいシギショアラの旧市街

パステルカラーの建物がかわいいシギショアラの旧市街

またルーマニアの歴史の中で最大の転換期と言えるのが1900年台後半のチャウシェスク独裁体制からルーマニア革命でしょう。
チャウシェスクは社会主義国家としては珍しくソ連と距離を取る独自路線を貫き、アメリカや西ヨーロッパ諸国からは人気を博しましたが、結果としてチャウシェスクの独裁を許す要因となりました。
チャウシェスクは莫大な対外債務を返済するために1980年には国民の配給制を実施し、ルーマニア国民の生活は日に日に困窮していくこととなります。そんな一般庶民の生活とは対照的にチャウシェスクは30人以上の血縁関係にあたる人物を党や政府の要職に就かせる他、日本円で約1500億円もの予算を投じて豪華絢爛な宮殿「国民の館」の建設を命じるなど、国民の反感を買いました。
1985年、ソ連のペレストロイカを皮切りに始まった東欧諸国の民主化運動の波はルーマニアにも押し寄せ、1989年にティミショアラでの牧師強制連行事件に端を発した暴動で、チャウシェスク独裁に対する不満が爆発。同年12月25日の裁判で銃殺刑となりました。東欧諸国の社会主義体制が終わる象徴的な出来事であり、現在もブカレストでは社会主義時代の面影を感じることができます。

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ルーマニアの見どころは?

馬車が走るスチャバ郊外の田舎の風景

馬車が走るスチャバ郊外の田舎の風景

次にルーマニアの見所を挙げていきましょう。
美しい自然と深い歴史が残るルーマニアは、数多くの観光名所に溢れています。
一般的に知られているのは、「東欧のパリ」とも称される美しい街並みながらも社会主義国家の面影が残る首都ブカレスト。そしてルーマニアのミステリアスなイメージを担っているドラキュラ城のモデル「ブラン城」とヴラド3世が生まれた世界遺産の街・シギショアラ。
そしてシナイア渓谷に建てられた壮麗な外観を持つペレシュ城の人気も高まっています。

ドラキュラレストランの血のスープ(トマト味)

ドラキュラレストランの血のスープ(トマト味)

中世の街並みのイメージが強いルーマニアですが、個人的には都市部よりもルーマニアの田舎こそ、見ていただきたい風景が残っています。

例えば「五​つの修道院」の拠点となるスチャバ近郊や「マラムレシュ地方の木造教会」で知られるルーマニア北部の小さな村では、民族衣装に身を包んだ地元の人たちが井戸端会議をしていたり、馬車に揺られて仕事へ向かう人がいたり、他のヨーロッパではみることができない素朴な生活が残っているのです。
有名な観光地だけであれば3,4日間で巡ることも可能ですが、実はルーマニア1国で10日間以上かけてじっくり周遊しても飽きないくらい魅力的なのです。

ルーマニアの首都ブカレストはどんなところ?

ブカレスト旧市街

ブカレスト旧市街

「バルカンの小パリ」と称えられるブカレストはその名の通り、壮麗な建物の並ぶ美しい街です。
空港からブカレスト市内へ抜ける途中に必ず目にするのが凱旋門。ブカレストの凱旋門は第1次世界大戦の勝利を記念して1919年に建てられました。
残念ながら第2時世界大戦と1940年、1977年の2度起きた大地震により、ブカレストの街の大半は破壊されてしまいましたが、南北を貫くビクトリア大通り沿いにはアテネ音楽堂、国立美術館(共和国宮殿)、国立歴史博物館などブカレストを代表する名建築が数多く残っています。

国民の館

国民の館

個人的にブカレストで必ず訪れてほしいスポットは2カ所あります。

◎旧市街・・・再開発が進むブカレスト旧市街では、路地の両脇にカフェやブティックが軒を連ねています。ルーマニアならではのノスタルジックな雰囲気を感じつつ、ショッピングやカフェ巡りも楽しめるスポットです。

◎国民の館・・・1980年代に故チャウシェスク大統領が1500億円もの国家予算をつぎ込んで建造された豪華絢爛な宮殿。アメリカのペンタゴン(国防総省)に次いで2番目に大きい規模だと言われています。名前とは裏腹に、当時の庶民の暮らしとはかけ離れた造りとなっています。現代では造りえないあまりのスケールの大きさは必見。しかし内部見学はガイド付きの予約制となっているため要注意です。

ルーマニアで一番の人気スポット・ブラン城

「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなったブラン城

「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなったブラン城

ルーマニアのミステリアスなイメージを決定づけているのが、『吸血鬼ドラキュラ』。そしてこのブラン城はドラキュラ伯爵が住むお城のモデルとなったと言われています。
『吸血鬼ドラキュラ』が発刊されたのは1897年。著者であるアイルランド人の小説家ブラム・ストーカーは、とある知り合いのブダペスト大学教授を通じて東欧の伝説的人物ヴラド・ツェペシュのことを知ります。ヴラド・ツェペシュは串刺しの刑を好む、冷酷で非情な統治者であったため「串刺し公」の異名を持っていました。

城主ヴラド・ツェペシュの似顔絵

城主ヴラド・ツェペシュの似顔絵

その頃ヨーロッパは怪奇小説ブーム。ブラム・ストーカーにより創り上げられた『吸血鬼ドラキュラ』は大ヒット。ブラムは劇団でも働いていたため、この『吸血鬼ドラキュラ』はすぐに演劇化もされ、当時の人々の話題をさらいました。

このブラン城の観光開発が始まったのは1960年代。ルーマニアでいち早く世界的スポットとなりました。実はブラン城と「ドラキュラ伯爵」ことヴラド・ツェペシュの関係は小説ほど深くなく、トルコ軍との戦いで敗れた際にこの城で数日身を隠したことがある程度。
そのため、ブラン城の内部はルーマニア王室が夏の離宮として使っていた時の面影が色濃く、外観のおどろおどろしさとは裏腹に、西ヨーロッパから取り寄せた高価なアンティークの家具や貴重な調度品に溢れています。

ルーマニアのシンボルとも言える場所ですので、是非訪れてみてほしい場所です。

鮮やかなフレスコ画で知られるブコヴィナ地方の五つの修道院

五つの修道院の1つヴォロネツ修道院

五つの修道院の1つヴォロネツ修道院

19世紀ルーマニア建国の基盤となったのが、現在のブカレストを含むワラキア公国と現在のスチャバを中心に栄えたモルドヴァ公国。スチャバはモルドヴァ公国の政治・経済の中心であり、モルドヴァ公国の首都がヤシに遷都されるまでの15~16世紀に最盛期を誇りました。
ルーマニア観光の目玉でもある世界遺産「五つの修道院」もこの時期、シュテファン大公などの名君により建立されました。

モルドヴィツァ修道院のフレスコ画と地元の方達

モルドヴィツァ修道院のフレスコ画と地元の方達

時同じくして、隆盛を誇っていたのはオスマン帝国。オスマン帝国はハンガリーとトランシルヴァニア地方を支配下に治め、ヨーロッパへの侵攻をすすめている最中でした。
その為、モルドヴァ公国とオスマン帝国は幾度も刃を交えた歴史があります。シュテファン大公は祈願の証として、戦勝の度に教会を1軒ずつ建立していったといいます。
これらの教会や修道院には文字が読めない兵士や農民のために、色とりどりの美しいフレスコ画が描かれました。フレスコ画の題材は聖書の1節ですが、オスマン帝国との戦いの影響が見て取れます。例えば、ヴォロネツ修道院の壁画には「最後の審判」を題材にして地獄に落ちるトルコ人の姿が描かれているのです。

日曜に訪れるのがお勧め?マラムレシュ地方の木造教会

ポディザ村の木造教会

ポディザ村の木造教会

ルーマニア北部のマラムレシュ地方は、長らく近代化の波にさらされなかった「ヨーロッパの最後の秘境」と呼ぶに相応しいエリアです。のどかな田園があり、多くの人々が未だ昔ながらの暮らしを続けています。

村を歩けば、伝統衣装に身を包んだ村人を見かけることは珍しくありません。女性はレースがついたひらひらのブラウスに、カラフルなスカート、頭にはスカーフ。男性は黒の山高帽がトレードマーク。日曜ともなると老若男女問わず、一張羅の伝統衣装で着飾って教会に出かけますので、是非日曜日に訪れてみてください。

日曜日は民族衣装を着て 教会に向かう村人

日曜日は民族衣装を着て 教会に向かう村人

そしてマラムレシュ地方と言えば17世紀から18世紀にかけて建造された木造教会群も忘れてはなりません。
世界遺産にも登録された「マラムレシュの木造聖堂群」は、その名の通り、石や金属を用いず、モミの木を主体とした木材で造られています。
骨組みや屋根に至るまで釘一本使うことがなく造られた理由は、オーストリア帝国の一部だった時代には、ルーマニア正教の教会を石で造ることを禁止されたためだったそう。
さらに驚くべきことに、日の明かりを取り込むために、屋根は二重構造になっているんだとか。日本の宮大工もびっくりの高度な技術ですよね。
マラムレシュ地方の人々の深い信仰心を感じさせる名建築です。

ルーマニアへの行き方

人気のエアライン ターキッシュエアラインズ

人気のエアライン ターキッシュエアラインズ

そんなルーマニアに行くための最も便利な航空会社の1つは、ターキッシュエアラインズでしょう。
オランダ航空やエールフランスなどのヨーロッパ系の航空会社の方が便利だと思いがちなのですが、実はトルコはルーマニアのお隣の国・ブルガリアの東に位置する国で、オランダやフランスを経由して行くよりもはるかに近いのです。

世界遺産のブラショフ

世界遺産のブラショフ

ターキッシュエアラインズならお昼成田発の昼便と深夜羽田発の夜行便の1日2便での運行。ブルガリアやウクライナ、ギリシャ、セルビアなどの近隣諸国へも就航しているのでルーマニアとの周遊の旅行にも便利です。

2020年以降のコロナ禍に置いても早期から毎日の運行に勤め、機内の感染予防対策に取り組んでおりますので、現在安心してご利用いただける航空会社の1つとなっています。

ルーマニアへのツアー

シビウの町並み

シビウの町並み

もしあなたがルーマニアへの1週間程度への旅行をお考えであれば、観光付きでルーマニア1カ国のみをじっくり周遊するプランは残念ながら多くありません。なぜなら隣国のブルガリアと併せて巡るコースがルーマニア旅行の定番だからです。どちらも魅力的な国ですので、できればそれぞれじっくり滞在していただくのがお勧めです。

ブカレストのインスタスポット カラフルな小道

ブカレストのインスタスポット カラフルな小道

ルーマニアはヨーロッパの中ではそこまで大きな国というイメージはありませんが、実は日本の本州と同じくらいの大きさを持つ国なのです。
日本に置き換えて考えていただいてもお分かりいただけると思いますが東京と京都、大阪の3都市を巡るだけでも1週間はかなりの駆け足になりますよね。

「ルーマニアをじっくり巡りたいが自分の気に入ったプランが見つからない!」というあなたは、旅行会社ファイブスタークラブで旅行の相談をされてはいかがでしょうか?ファイブスタークラブのスタッフは定期的な海外視察を行っていますので現地に精通しています。それに長年の実績のある個人旅行の専門店ですのでお客様の希望に応じたプランニングが大得意。
コロナ後の旅行は是非ファイブスタークラブにご相談ください。

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まとめ

いかがでしたか?ルーマニアと聞くと『吸血鬼ドラキュラ』のイメージから、ダークで危険なイメージがあるかもしれませんが、カラフルで可愛らしい街並みや素朴な田舎の風景とそこに住む親しみやすい人々が多い国であることがお分かりいただけたのではないでしょうか。
まだまだ訪れたことがない方も多い国ですので、少しでも関心を持っていただけると嬉しいです。

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