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ヨーロッパの最東端に位置するコーカサス地方。その中でもノアの方舟伝説で有名なアララト山の麓に広がる、世界最古のキリスト教国がこのアルメニアです。アララト山は現在トルコ領になっていますが、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心に繁栄した大アルメニアの中心に位置していたことから、アルメニア民族のシンボルになっています。
アルメニアにはキリスト教発祥の地ならではのお宝も世界遺産もあって見所たっぷり。ペンギン2号が前回、同じくコーカサス地方のジョージアをすでにご紹介済みですが、今回は隣国アルメニアを詳しくご紹介したいと思います。
面積 | 2万9,800平方キロメートル(日本の約13分の1) |
人口 | 300万人 |
首都 | エレバン |
言語 | アルメニア語 |
宗教 | 主にキリスト教 |
通過 | ドラム |
時差 | 日本との時差は-5時間 (日本の方が早い) |
チップ | チップの習慣はなし。 外国人向けのホテルやレストランなどでチップが必要な場合もある。 |
アルメニアってどんな国?
紀元前8世紀から現代へ…世界で初めてキリスト教を信仰し始めた国であり、民族の侵略や大虐殺、旧ソ連解体といった長い歴史を経てきたアルメニア。ヨーロッパの中の秘境と言えるコーカサスにあって、見逃せない魅力あふれる国なのです。「石の国」と言う呼び名があるほど、アルメニアにはたくさんの石でできた聖堂や修道院、教会が点在しています。中には世界遺産に指定された壮大な建物も多く、その迫力に目を奪われるのです。
首都エレバンの町中でも、ホテルや博物館、郵便局などは、美しいバラ色の凝灰岩で建てられていて、「石の国」の呼び名にふさわしい街並みです。
キリスト教がこの国で生まれた後、信者たちはエルサレムにも盛んに巡礼したそうです。彼らはエルサレムに教会や住居をたくさん建設して、エルサレムの4つの地区の一つがアルメニア人地区と呼ばれるようになったのです。
無機質に見える石の国に彩りを添えるのは、アルメニア人女性の存在。特筆すべきは美人が多いこと!古代より多くの民族がアルメニア女性を巡って侵略を繰り返したともいわれるほどです。アルメニア人の子供たちも人懐こく可愛いくて、写真にも関心があるようで、写真を撮ってほしいと集まってきます。向こうも日本人に興味津々なのです。
人々は皆親切で親日的。旅先では親切にされたいい思い出しか残っていないほどなのです。
アルメニアへの行き方
日本から首都エレバンの空港へ直行便は就航していません。カタール航空でドーハ経由のフライトを利用するのが一般的です。ターキッシュエアラインズでイスタンブール経由はトルコとアルメニアの国交がないためフライトが就航していません。カタール航空の場合羽田か成田からドーハまで直行で約12時間。ドーハで乗り換えでエレバンまで所要約3時間です。ただしカタール航空はドーハでの乗り継ぎが長めです。他にもアエロフロートロシア航空のモスクワ乗り換え便も可能です。羽田発で4時間半ほどの乗り継ぎ時間を足して所要17時間20分。乗り継ぎもちょうどいいためお薦めです。
飛行機のほかに、隣国ジョージアから列車で入国する方法もあります。ジョージアの首都トビリシの駅から寝台車でエレバン駅へ入ることも可能です。ただし列車は運行状況がフレキシブルなので、旅行社を通して手配してもらう方が安心です。バスもあり、所要6時間半余り。バスの手配は日本では難しいかと思います。道中の見所を観光しながら現地の専用車を効率よく利用すると出入国もスムーズで安心です。
アルメニアへのツアー
アルメニアを目指す場合、コーカサス3国として、ジョージアとアルメニア、アゼルバイジャンの3国を一度に周遊するプランも多く、他にもジョージアとアルメニアの2か国周遊のコースも人気があります。アルメニア1か国で、奥深く周遊するプランもお薦めです。いずれにしても団体ツアーだと、本当に行きたいところは網羅されておらず、個人旅行で融通の利く旅行会社を利用することが大切です。
コーカサスをはじめ辺境に強い個人旅行のみを扱う旅行会社で、実際に現地を見て来たスタッフがいていろんな話を聞かせてくれて、好みに応じたアレンジをしてくれるようなところが理想的でしょう。ジョージアとアルメニアをコンパクトに周遊すれば夜発6日間でもハイライトプランがあります。アルメニアとアゼルバイジャンの2か国周遊は、現状では仲が悪いので設定できなくなっています。
世界最初のキリスト教国家アルメニアのお宝とは?
「キリストの脇腹を刺したロンギヌスの槍の穂先」だの、「ノアの箱舟の破片」だの、にわかには信じがたいような品々がガラスケースに大切に収められています。アルメニアの首都エレヴァン郊外にあるアルメニア正教会の総本山エチミアジン大聖堂の奥にある宝物館。入口には警備員がいて、物々しい感じがまた「お宝」の貴重さを表しています。
アルメニアは世界で最も古いキリスト教国家のひとつ。4世紀に教会の基盤ができ、後に増改築を繰り返し完成した大聖堂の圧倒的な存在感を見せる外観や、内部のフレスコ画やドーム天井の装飾の美しさは際立ったもので、ムードも満点、伝説への気分も盛り上がるはずです。
ちなみにこのロンギヌスの槍の穂先が発見されたというのが別の場所にあるゲガルド(ギガルド)修道院。ここは洞窟を掘って作られた洞窟修道院で、伝説の舞台としてはこれ以上のところはありませんでした。私がここを訪れたのは夏の暑い日の真昼。太陽に照り付けられて、洞窟に入って涼しくなったところで外に出たら、なんと外は急に真っ暗になって雷が鳴って雹が降り始めたのです。偶然とはいえ、舞台のムードは完璧で、鳥肌が立つ私でした。
世界中で暮らすアルメニア人
アルメニア人の歴史を紐解けば、この次の欄で出てくるように、その多くが悲劇の歴史です。オスマントルコでの大虐殺やさまざまな迫害を受けてきたのです。そのため国外へ追放されたアルメニア人は世界中に散ってしまいました。結果、アルメニア国内で暮らすアルメニア人より国外で暮らすアルメニア人の人口の方が多くなってしまったのです。全世界には約758万人のアルメニア人が暮らすと言われますが、アルメニア本国に暮らすものは約297万人と、全体の4割程度なのです。これには驚くばかり。
それは同様に迫害され追放されて世界中に散らばってしまったユダヤ人と似ていると言われます。ユダヤ人はユダヤ教を信仰するため世界の国々にユダヤ教の寺院であるシナゴークを造ったり、手広く商売をして幅を利かせたのですが、アルメニア人は正教とはいえキリスト教を信仰することから、欧米諸国でもむしろ好意的に受け入れられているようです。そのことも海外に暮らし続けている人口が減らない理由でしょう。
海外に散らばって暮らすことにより、一層彼らの民族意識は高くなります。でもアルメニア人はユダヤ人と違い、国を失わなかったことをとても誇りに思っています。またユダヤ人同様、商売上手で世界中で活躍するアルメニア人も多数います。
アルメニア人にとって、アルメニア正教の総本山であり世界遺産であるエチミアジン大聖堂は、アララト山と同様に心の拠り所です。建設や修理には世界中のアルメニア人から浄財が集まるのだそうです。本国でお金がなかったとしても、世界中で商売に成功しているアルメニア人たちの援助資金がある限り、こうした大切な史跡は安泰かと私は思います。
アルメニア人虐殺博物館とは?
エレバン近郊、ツィツェルナカベルドという丘の上に広い公園があり、アルメニア人虐殺犠牲者の記念碑と博物館があります。博物館に展示されている資料は、オスマン・トルコ帝国の末期、特に1915~1916年にかけてトルコ東部でのアルメニア人虐殺に関するもの。一説によれば約150万人以上のアルメニア人がトルコ人に虐殺され、当時80万人以上が国外へ追放されました。
そうした歴史から国境を接する隣国でありながらトルコとアルメニアの間には国交すらなく、以前から中の悪い国だったのです。オスマントルコの虐殺をトルコ政府は認めていないそうです。アララト山もトルコは自分の国の山としているし、トルコ領にあるのですが、アルメニアは自分たちの山だと譲りません。
最近、アルメニアとアゼルバイジャンの間にも紛争が再発しましたが、トルコはアゼルバイジャン側に味方し、それによってもトルコ・アルメニア間の国交回復はまた遠のいたと言われています。以前からトルコとアルメニアの間にはターキッシュエアラインズは就航していないのです。
アルメニアの世界遺産
アルメニアの世界遺産は3か所指定されています。
①エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡
②ゲガルド(ギガルド)修道院とアザト川上流域
①と②については前項でご説明した通り、アルメニアを代表する素晴らしい見所となっています。
③はハフパット修道院とサナイン修道院です。
ハフパット修道院はロリ地方のハフパット村にある修道院です。のちにアラブ人などによって破壊されることとなるのですが、最盛期には500人の僧侶の学生がここで学んだそうです。
サナヒン修道院も10世紀に建造されたアルメニア正教会の修道院です。ハチュカルと呼ばれる十字架石を正面に置いた聖母マリア教会が隣接しています。独特の黒ずんだ壁はユニークで、十字架の代わりに敷地の庭にハチュカルを飾るのがアルメニア正教ならではのやり方です。中でもここのハチュカルはとても大きく特徴的。黒装束で掘りの深いアルメニア人の修道女が修道院内をいろいろ案内してくれました。物静かで優しい修道女さんとゆっくり回っていると、自分が昔の修道院にやって来たような不思議な気持ちになるのでした。